実際、イエスに従う人たちは、「全てを捨てること」が求められる。「そこで、彼らは舟を陸に引き上げ、すべてを捨ててイエスに従った。」(ルカ5.11)生活の糧を得る手段を置いて、イエスに従うことは、或る意味でこの世の価値観の放棄、この世的命への死(ルカ14.26)を意味する。イエスの愛の教えを本当に具体的に生きるためには、自分の命の放棄を覚悟しなければならない。「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。」(ヨハネ15.13)
キリストに従う召命、それは「自己放棄と死」を覚悟する道である。師であり頭であるキリストが歩んだ道を、その弟子たちも歩むのが当然である。イエスの生涯を、今ここで具体的生き、人々にイエス・キリストを実感させるのが、弟子である福音宣教者の任務だからである。
キリストの招きに応える人は、常にキリストの霊である聖霊の力によっていつも新たにされることであり、キリストに倣い苦しみと死ぬことであり、キリストの復活の恵みによって、繰りかえし復活することである。キリストからの召命に生きる人は「苦と死」に意味を見出し、「苦と死」を力とする人である。 |