まだ、純粋だった私はすぐに「私もそのようにします。ノーではなく、イエスと言いながら歩きます。」と心の中で決心しました。するとイタリア人のシスターが近づいてきて、「あなたは今からカトリックの勉強をしなさい。」と言われびっくりしました。決心したばかりでしたので、「ノー」と言うのがくやしく「ハイ」と言ってしまいました。
その最初の「ハイ」から始まり、どんどんイエス様への道が開かれていったのです。不思議でたまりませんでした。そういうわけでルカ福音書にある聖母マリア様のお告げの場面を読むたびに、マリア様が導いてくださったと感じずにはいられないようになったのです。
そのお告げの場面ですが、その頃は大好きな場面でした。けれども、その重大な意味をだんだん知るようになってからは、簡単に「ハイ」などと言えるものではないことがわかります。
マリア様はイエス様のお母様になるということが、どんなことを意味するのかをよくわかって「ハイ」と言われたのでしょう。もちろん、十字架と復活までは理解できなかったでしょうが・・・。
そして、いくら聖霊によって身籠ったとはいえ、社会的に結婚もしていないのにそのようなことが起こったということが何を意味するのか、そして、神様を宿すという大それたことが実現するということがどんなに大変なことかをわかったうえで「私は主のはしためです。お言葉通りにこの身になりますように。」とお答えになったのです。
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