いつくしみの特別聖年に、バチカンのGiubileo delle Coraliというイベントに参加するお恵みをいただいた。イタリア全土から、小教区の聖歌隊と指導者、典礼に奉仕する信徒たちが集い、自分たちの使命を確認し、問題を分かち合い、ともに歌いながら聖年の扉に向かって巡礼した。
典礼におけるキリストの現存と聖歌隊はどのようにかかわっているか。聖アウグスティヌスは、歌うのは愛している証拠 Cantare è proprio di chi amaと言った。歌は、愛された心、愛する心の中で具体化する。聖歌は、キリストのうちにある神の愛にたどりつき、その愛によって救われた心から流れ出る「歌」。もちろん「歌の技術」には気を配らねばならないが、まず「歌う人間」に注意を払うこと。聖歌隊のメンバーは、常に主への信仰との熱烈なかかわりの中で生きている人間でなければならない。キリストとの深い交わりにとどまっている人は、歌声だけでなく存在全体からキリストの魅力をあふれさせる。それが聖歌隊の役割だ、と教えられた。
しかし実際は、キリストの魅力より「私の魅力」を伝えようとしてしまうのが聖歌隊の常。たくさん練習したときは、なおさらだ。だから教会に入るときは「私」として入らず(「私」を捨てて)、御父の「子ども」として、周りの人々の「兄弟姉妹」として入りなさい、というお話しがあった。教会の美しさは、建物や音楽自体よりも、その深みにあるコムニオーネ、神と人、人と人の交わりの美しさ。この交わりの中に生きるとき、キリスト者のすることすべてが美しくなる。典礼の歌は、他の教会芸術がそうであるように、主の神秘の美しさと天の集いの喜びを映し出し、皆の手を取って主の道へ連れて行く役割を帯びている。
このような恵み深い学びの直後に、私は一つ、悲しい体験をした。皆で聖年の扉を目指して歌いながら歩いている途中、近くにいたご婦人方からアジア人に対する嫌悪感が、にじみ出た。外国人はほとんど参加していなかったようだから、私は目立っていたと思う。移民、難民問題を抱えるイタリアの状況から、彼女たちの心の奥にも複雑な思いがあるのは理解できる。ちょうどその時歌っていたのはDov’è carità e amore, qui c’è Dio… 皆集まって、ひとつのからだを形作ろう、分裂を避け、兄弟として皆ひとつになろう… そのような歌詞だったので、ますます悲しくなり歌うこともできず、周りに気づかれぬよう一人で涙をこらえていた。国籍、文化を超えて、ひとつになるのは何と難しいことか。
考えてみれば、イエスの昇天後、初代教会からその難しさがあった。 ユダヤ人キリスト者と異邦人キリスト者。一緒に食事をするのも大変だった。でも、イエスがともにおられたとき、異邦人と付き合いのあった徴税人マタイと、絶対にそのようなものと関わりたくない熱心党のシモンは、ともに食卓を囲んでいたのだ。それはきっと、イエスが自分を心から大切にしてくれていて、同じように他の弟子のことも大切に愛しておられることを、2人ともよく知っていたからだろう…。自分の歩みを振り返る。修道者でありながら、何度も何度も主から離れ、人を裁き、罪を犯し、自己嫌悪に陥る。そのたびに「医者を必要とするのは病人である(マタイ9:12)」とのみことばに引き戻される。この私は、キリストなしには生きていけない病人。キリストがいのちをかけて大切にした友のひとり。
聖歌隊のイベントでこんなに悲しい思いをするのは予想外だったが、イエスの深い友情なしには隣のご婦人と一緒に歌うことすらできないと知ることができたのは、これまた予想外のお恵みだった。キリストに愛された心が兄弟を愛する心となり、そこから歌があふれる。「主のいつくしみ」を知った心の歌が。
「キリスト者であるということは、福音記者でもあるということ。私たちは自分の福音書を書かないといけない。イエスとの出会いの記録、イエスが私に語られたこと、してくださったことを綴り、伝えていく。自分のいのち全体が、福音の歌となるように」。 これは、聖マタイ福音記者の祝日に聞いた、ある神父様のお話。毎日の修道生活の中で体験するイエスとの友情の喜びが、私の表情や、声色、存在全体から伝わるように。小さなことを大切に、一歩一歩、イエスと歌いながら神の国を目指して歩んでいこう。
イエスのカリタス修道女会
Sr.谷口 暢子
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