41~60 / 21~40 / 1~20
---------------------------
No61
   「ロザリオの祈り」
(聖マリア修道女会      
シスター羽塩勝子)
ルカ 11・9-10
---------------------------------
No62
   「マルタとマリア」
(カトリック徳田教会所属
片岡 秀美)
ルカ 10・38〜42
---------------------------------
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 毎年、ロザリオの祝日を迎えるとき、いつも思い出すことがあります。
 終戦から25年以上経ったある年、私は、修道会の修練で、スペインの田舎に1か月滞在しました。その村は、スぺインのイメージとは、全く違う寒村でした。農村でありながら、土地は痩せていて砂漠地帯を思わせる風景が続き、周囲一帯は麦畑だけでした。日本にいる宣教師のシスター方が自慢するスペインのおいしいメロン、スイカなどの果物、柔らかい肉、種類の豊富な魚などの代わりに、修練中ということで、毎朝落ちたイチジクを拾って食べ、冷凍肉と冷凍の棒鱈だけを食べていました。
 私たちがお世話になった黙想の家は、小高い山の上にありました。日本でいう山寺です。そこには村の古びた聖堂があり、夕方になると村人たちが、三々五々山に登ってきて、ロザリオを唱えていました。祈りが終わると、ロザリオを手に夕涼みをしながら、長いおしゃべりが続いていました。子供たちは一緒に登ってきて、いつも鬼ごっこや缶蹴りをして遊んでいました。
 私たち日本人シスター2人は、一日の緊張した修練が終わり、夕食までのほっと一息するこの自由時間が大好きでした。今でも、村人たちの祈りの姿と麦畑のむこうに落ちる夕陽をはっきりと思い出します。
 ある日、スペイン人の若いシスターが、ロザリオを手にした一人のおばあさんを私たちの前に連れてきました。このおばあさんは、興奮したように何度も私たちに、「あなた方はハポネサですか?」と聞きました。私たちは、「はい。そうですよ」と答えると、「神様、マリア様、感謝します。とうとうハポネサに会いましたよ。マリア様有難う。」と大きな声で叫びました。周りのおじいさんやおばあさんが何事かと集まってきました。そこで、このおばあさんは、皆に、次のような話をしました。
 「第2次世界大戦が終わった年に、この山の聖堂で黙想会がありました。その時、神父様が、“日本は戦争に負けただけでなく、イエス様を知らない人が多いので、日本の教会の為に祈りましょう。”と説教されました。私は、その日から、毎日この山に登ってきて、ロザリオの祈りを日本の教会の為に捧げてきました。最初の頃は、日本がどこにあるかも知らなかったのですが、教えてもらって分かりました。日本人の生活が、次第に良くなってきたことも分かり嬉しくなりました。そのうち日本人がどんな人で、どんな顔をしているか知りたくなりました。そこで、マリア様に“どうぞ、私が生きている間にハポネサに会わせてください”と願いました。だんだん年を取ってきて、私が本当にハポネサに会えるかどうか心配になり、一生懸命会わせてくださいと祈っていたところです。」「今こんな田舎で、ハポネサに会えたのは、マリア様のお陰です。マリア様、ありがとう。ありがとう。」
  この話を聞いた村人やシスターは、非常に感銘を受けたようでしたが、一番感動したのは私たち2人でした。こんなスペインの山奥で、日本の為に祈っている老婦人の存在と25年以上も祈り続けて下さっていることを知って、心から感謝しました。ハポネサ、ハポネサ(日本人)と呼び続けて下さったおばあさんの祈りは、着実に神様に届けられていました。私たちは、このような方々の祈りに支えられていることを実感したスペインの山寺(聖堂)の体験でした。
 あの日以来、25年以上も祈って下さったおばあさんのロザリオに私も連なり、まだ見ぬ方々の為に祈っています。

<完>