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No61
   「ロザリオの祈り」
(聖マリア修道女会      
シスター羽塩勝子)
ルカ 11・9-10
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No62
   「マルタとマリア」
(カトリック徳田教会所属
片岡 秀美)
ルカ 10・38〜42
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有名なマルタとマリアのお話です。
マルタがイエス様を家に迎え入れ、もてなしの準備をするが、妹のマリアはマルタを手伝いもせず
イエス様の話に夢中になっている。
マルタはイエス様に言います。「マリアが自分を手伝うように注意してください」
だがイエス様は、忙しく心を取り乱しているマルタに対して諭します。
「マリアは良い方を選んだ」
 
イエス様を家に迎え入れ、一生懸命もてなすのが良識だろうが、イエス様がお話をなさっているのに
バタバタと動き回り、心が乱れた状態でイエス様に対してマリアを非難することは、 もてなしとはいえません。
 


そんなマルタの心の状態を見て、「マリアは良い方を選んだ」とイエス様は諭します。
ここで注意するのは、マルタがマリアに関して不満を漏らすことです。
イエス様は心の乱れたマルタより、心の安定したマリアを良いものとした。
熱心にイエス様のお話に聞き入って、他の事に煩わされていないマリアの心は安定しています。
 
一方、マルタは心を乱したまま、あれもしなければこれもしなければと思い、収拾がつかないまま マリアへの不満を露わにします。
そのような心の状態のマルタに対して「マルタよ、マルタよ」とイエス様が2度呼びかけます。
イエス様が名前を2度呼びかけるのは愛を込めて呼びかけている時です。
 
もしマルタが黙々ともてなしの準備をして、イエス様のお話に聞き入っているマリアに何の不満も抱かなければ、マルタの心は安定しています。
けれども、その時のマルタにとっては、そのような心の状態には至りません。
ただ忙しさに追われる腹立たしい気持ちを、マリアに向けたのです。
 
このようなマルタとマリアの関係は私達の日常に溢れています。
活動的な人は活動が苦手な人を苦々しく思います。
マルタを諭したイエス様のみ言葉は、活動に熱中して同時に他者への配慮を怠らない心の状態が
最も安定していることをお示しになられています。
けれども私達はそのような理想の活動者になれるのでしょうか。
 
イエズス会会員の目標は「活動しながら観想する」ことです。
まさにマルタとマリアを合わせた人物を理想としています。
 
私が今まで出会った修道者の中で、「佇まい」だけで霊性を醸し出している方々がたくさん
いらっしゃいました。
その修道者と接するだけで厳かな気分になり、霊に導かれる錯覚に陥ります。
そういう修道者の方々と出会った体験は、私にとっては宝です。
そのような霊的世界に少しでも近づく事が出来れば、日常生活での活動がより豊かになるでしょう。

<完>