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司祭、修道者、そして信徒使徒職として生きること。それぞれの召命の道。
神が自分に何を望まれておられるのか、祈りによって知ることができると思います。
種々の「召命」の道をご紹介しましょう。
教区司祭の道 修道者の道

信徒としての召命

 信徒の召命は、パン種のように社会の中に福音を広めるということです。個人的に、地域、学校、職場などで出来る範囲で自分たちの中におられるキリストを表す使命があります。
司祭は、信徒が個人、家庭、団体を通し行う使徒職に協力し、共に教会の共通善に向けて秩序つけるように配慮していかなければいけません。

●●●信徒の活動 -ホームレスの方々と共に(志村教会信徒)

  私が所属する教会の主任司祭(パリーミッション会のルイ神父)と共に、荒川のホームレスに炊き出しをはじめてから4年以上になります。
  最初は彼らにどう接して良いか分からず戸惑うことばかりでしたが、私たちの地道な活動と神父さまのおおらかな心に触れることによって、最近、彼らの内の数名の方が、日曜日の御ミサに参加してくださるようになりました。ミサ後も教会のために色々と手伝ってくれています。壊れた教会の備品の修理、ペンキ塗り、そして時には教会のお掃除などなど。  
  クリスマスが近づくと、神父さまは教会のテラスに彼らを招待して、自分の十八番(オハコ)であるクレープを焼きます。そしてみんなでワイワイとちょっと早めのクリスマスパーティ。

  信徒の中には私達のこの様な活動に眉を顰める方々もいますが、応援してくださる方々もいて、お米や軍資金を寄付してくださいます。この様な時は素直に嬉しいのですが・・。

  その半面、ホームレスの方々のことを考えると、これで本当に良いのかと疑問を感じることがありましたが、最近では もし間違いならば、神様が私に分かるように、教えてくださるでしょうと思うようになりました。
そうしましたら、元ホームレスの方(男性)で、今は自立しているM氏が聖書の勉強会を始めました。 そして、洗礼を受けることにたいして前向きに考えだしたのです。
  彼は私たちの炊き出しの活動を手伝いながら、同時にホームレスの皆さんに必要な事務的な手続きを教えてあげている方です。
  それはルイ神父さまの温かい人柄と 聖霊の力が彼の心を変えたのでしょう。M氏に対する神の恵が実現することを、祈ります。

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●●●キリスト者はみんな、召命の道を歩いています( J.K. )

  パソコンで「しょうめい」と打つと、まず「照明」や「証明」が出てきます。「召命」と、すぐに出てきてくれません。「召す」、「命」…等と何度か変換をして、ようやく「召命」に辿り着きます。
「召命」はキリスト教に馴染みのない方にとっては、ピンとこない用語と思います。またカトリック信徒でも、「召命」とは「司祭や修道者になること」を意味し、「私には直接、関係のない話題」という感覚を持たれている方も多いかもしれません。確かに「召命」とは、狭い意味で「司祭・修道者への召し出し」のことを意味すると言われていますので、このニュアンスで使われることの多い時代や地域においては、「召命の減少」といえば、それは「司祭・修道者の数の減少」を意味し、「召命の対象」と言えば「未婚の青年」がイメージされるのではないかと思います。
しかし、今、私たちキリスト者にとって、司祭・修道者の生き方を尊敬し、その召し出しを望む人々の為にも、実はこの狭い意味での「召命」だけに目を向けるのではなく、より広い意味での「召命」、つまり「全てのキリスト者が信仰の恵みに感謝し、現実の生活の中で、神様の呼びかけにこたえて生きようとすること」について、深めていくことが大切ではないでしょうか。
  この広い意味での「召命」においては、司祭も、修道者も、信徒もなく、全ての人々が「当事者」となり、その時、問われているのは「誰かの進路」ではなく「私のキリスト者としての生き方」になります。司祭も司祭として、修道者も修道者として、そして私たち信徒も信徒として「今、あなたの召命をどのように生きていますか?」という問いにどう応えるかがポイントとなると思っています。
  私はというと、昨年(2009年)に結婚し、一児の父親、会社員というごく一般的な信徒です。もし先に述べた狭い意味での「召命」を前提とすれば、既婚者であすから、召命の「対象外」となり、それでも「召命」に関わるとすれば、例えば司祭・修道者になりたいと思う青年を招く方法を考えたり、その召命を祈ったりする立場となるのかもしれません。 しかし実際は、そのような立場にいるだけではありません。自分自身の祈りの中で、「社会で、新米の父親として、一般企業の会社員として、どのように信仰を生き、キリストを証しできるか」ということについて、常に葛藤や迷いの中にいるのです。そしてこの課題について、とても難しいと感じることや茫然と立ちすくむことは日常的です。また大きな決断に迫られるときや、日常の些細な出来事の中にも、神様の呼びかけを求め、感謝しています。そこには私のキリスト者としての、神様とのやり取りがあります。
  このように、まさに広い意味で「召命」を捉えるなら、私はキリスト者としての「召命」のど真ん中にいることになります そして勿論、私だけでなく、司祭や修道者、信徒、つまり全てのキリスト者は「召命」を生きており、どのように生きていくのかについて、常に問い、問われているのだと思います。
  「最近はお祈りする気分になれないな~。」、 「神様、今日は妻にひどいことを言ってしまった。ごめんなさい。」私は信徒として、このような身近な信仰生活を大切にしたいと思っています。そして教会が司祭、修道者、信徒が同じキリスト者として、夫々に与えられた個性を尊重し合い、生き生きと信仰生活を歩める共同体になれたら、これほど幸せなことはありません。その共同体の中から、司祭、修道者への道を望む人が出てきたら、皆で囲んで、大きな声で「おめでとう!」と祝い、自分のことのように嬉し涙を流したいと思います。

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