召命を生きるトップ  <  N0.3 Sr.パオリーナ・丹野英子 「 修道誓願宣立50周年を迎えて」

 

私はこのたび3月25日に修道誓願宣立50周年を迎える、師イエズス修道女会会員シスターパオリーナ・丹野英子(ひでこ)と申します。
出身地は、群馬県桐生市で戦前に生を受け、小学校時代は戦争中でした。
農家への勤労奉仕や爆撃機が飛んでくる度に、山や防空壕へ避難をし、落ち着いて勉強も出来ない状態でした。
戦争で多くの命が失われ、私の親戚の中からも戦死者が出る中で、子供ながらも人は何のために生まれ、何のために生き、死とは何か、死後人間はどうなるのか、などと考えていました。しかし、誰もそれに納得のいく返事をしてくれる人はいませんでした。成長するにつれてこの疑問は膨れ上がり、色んな書物を読みましたが納得は得られませんでした。そんな中で、終戦後アメリカから訪れた宣教師の布教の網にかかった一人です。教理を学んでいくうちに、これこそわたしの疑問に答えてくれる宗教であることが分かり、20歳で洗礼を受けました。
聖人伝、特に聖テレジアの自叙伝に強く惹かれて、神様に一生を捧げ、神様のために生きよう、と修道生活を希望するようになりました。
神様はここにも網を張っていたのです。未信者の両親の反対も、なんとか神様が手を廻して説き伏せてくださり、後程両親と兄弟の何人かも神様の網にかかりました。人となられた神の子が、世の終わりまで人々と共にいて下さるために、ご聖体としてご自分を残されたことに、深い感動と感謝の思いがありましたので、特にご聖体の近くにいて、聖体礼拝を使徒職とする、師イエズス修道女会への入会を希望しました。入会してからは、聖成への道をひた走っているつもりでしたのに、今、振り返ってみますと何と寄り道や草道をしていたものでしょう。呆れるばかりで反省することしきりです。こんな私でも神様は見捨てずに忍耐強く見守り、導き、同伴してくださいました。誓願宣立50周年を迎えることが出来たのも、すべては神様のなせる業であって、ただ感謝あるのみです。
私が入会した頃から比べると、第2バチカン公会議後、修道生活も随分と変わりました。規則も緩やかになり、服装も変わり、生活も考えられないほど物質的に豊かになりました。でも神様は変わっていませんし、修道生活の本質も変わっていません。神様のみ栄えのため、神様がもっと人々に知られるようになるための道具として、ご自由に使っていただくために自分を捨てて空になり、神様の恵みで私を満たしていただきたいと思っています。
聖パウロが言っているように「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラ2・20)と言えるまでになりたいものです。現代は物質的には豊かでも、精神的には貧しく、真理に飢え渇いています。イエス様は『貧しい人は幸い』とおっしゃいました。いかにして今の貧しさを幸いに変えていくかが大きな課題です。
修道者として召されたものが、今後もこの課題に挑戦するために、自ら貧しいものとなられたイエス様の生き方に倣って、神の豊かさの中に生きるために、自分自身をまったく明け渡していく生き方に徹しながら、神の国を述べ伝えるものが増していくようにと願っています。