召命を生きるトップ  <  N0.1 金子賢之介神父 「独りで百歩するなかれ、百人で一歩せよ」1

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●私の先祖は             

 来年が司祭叙階60周年で、ダイヤモンドになります。 生まれたのは、大分県の宇佐です。大分県は、昔から剣の達人が多い所でした。それで、私は今でも木剣を振っています。 大分のずっと山の奥に入った安心院という村に生まれました。金子家の先祖に金子自仏という人がいて、なかなかの人物であったようでした。 彼は、幕末の志士たちとの関わりで、自分の家の仕事はしないで、志士たちと日本全国を回っていたそうです。  私の性格だとか、ものの考え方だとか、あとタレント的なものがあるとすればそれは、この自仏から来ているという感じがして、彼に親しみを感じるのです。 私は、ドン・ボスコ社で、文を書くということをしていますが、彼もいろいろな人と関わって文を書いていたようです。そのようなところが似ていると思います。


●生涯、ものを書きながら

  私はものを書くことが好きですから、神父になったときにチマッチ神父様に「私は、教会で司牧をしてもいいけれど、出版がしたいから、そのような所で宣教がしたい。 ドン・ボスコ社で働きたい」と言いました。 チマッチ神父様は、私が神父になったときに「あなたは、ドン・ボスコ社で働きなさい」と言ってくれました。 それから私のドン・ボスコ社での仕事が始まりました。 たとえ、私は、教会を受け持っても、学校で働いても、原稿を書いてドン・ボスコ社の仕事をしていました。 実は85歳になる今も書くという仕事をしています。 ただ、出版して本を出すと言うような本は書いていませんが、6年前から毎日一冊のノートに生活記録を書いています。 そのノートは、無印にしか売っていなくて、表紙が頑丈で紙の色も少しくすんでいます。このことは、大切です。 白ですと反射して目が痛くなってしまいますからこれは助かるのです。 今、最後のノートが60巻目なのです。 このノートの名前は、『風歩ノート』(ふうぶノート)と言います。 風のように自由に歩くという意味です。自分自身を激励する意味でいろいろな事を少しずつ書いています。 1号から始まり、今は61号目を書いています。 内容は、身辺雑記などいろいろなことを書いています。 人の悪口や良いこと、自分の悪い所も良い所もいかにも偉そうなことを書いたり、あるいは、自分をけなしてみたりしています。 その中にこのようなことも書いています。
2年前でしょうか、私はある不思議な夢を見ました。 その夢は、地震が起き、地震と同時に水が入って来ました。 私は、修道院のいろいろな道具をおいている地下の部屋まで流され、さらにその部屋の天井まできました。 そのときに、若い女性の声で「このロープをお取りなさい」という声がしたかと思ったら、ロープが上から降りて来て、私の体を巻いたのです。 そして、その方が私に「大丈夫よ、大丈夫よ。 私があなたの側にいつもいますからね。」と言って消えたのです。 私が、そのロープを使って階段を上がったときに、奥の方の神学校が地震でひっくり返っているのです。そこで、神学生たちが「助けてくれ、助けてくれ」と叫んでいるのです。私は、自分に巻き付けてあるロープに気づき、そのロープを穴の中に入れて彼らを助けたのです。そのような夢を見たのです。
口はあまりよく無いのですが、私が仲良くしているご夫人がいます。その方にこの夢の話をしたのですが、彼女は、「ああ、また女か」と言ったのです。「私は、女で悪かったな」と言ったらその人は言い過ぎたと思ったのでしょうか。「もしかしたら、マリア様かもね」と言ったのです。
私が、「マリア様かな」と言ったら、彼女も納得したような顔をしていました。私は、地震のときにマリア様(マリア様かどうかわからないが、今はマリア様のような気がします。)から貰ったロープには、意味があると思うのです。私たちは、洗礼を受けたときに、困っている人を助けるロープを確かに頂いているのです。そのように私は夢を解釈するのです。このようなことをこのノートに全部書いています。
私の部屋できれいな所は、このノートが並んでいると書架だけです。 あとは、乱雑です。 内容は、修道生活の事や、非常にプライべートなことも書いています。 私が亡くなってから、金子という者を知ってか知らないか分かりませんが、おそらくこれらのノートは、トラックに乗せられて火葬場に持って行かれると思うのです。


●歩きながらの祈り

 私のあだ名は、『誇り高き野良犬』と言います。 どうして誇り高いかと言いますと、いつも勝手気ままに歩いているからです。 私は、この正月の3日には、新甲州街道を3時間半かけて歩いて新宿まで行きました。 新宿に行く途中で1人の男の子が自転車に乗って信号の所で止まっていました。 私は、その子に「おじさんは、これから歩いて新宿まで行くんだよ」と言ったところ、その子は、「でもね、電車で行った方が早いよ」と答えたのです。 私は、「それでも歩いて行くんだ」って答えました。彼は、変なおじさんだなというような顔をしていました。
私はこの『誇り高き野良犬』を誇りにしています。皆さんは、比叡山の行者さんをご存知でしょう。比叡山の行者は、「歩歩念念唱唱」(ぶぶねんねんしょうしょう)という言葉を唱えながら100日歩くのです。彼らは、短刀を持っていて失敗したらその場で喉を突くくらいの覚悟を持って仏に向かって歩き続けるのです。 私は、仏教者ではありませんが、比叡山の行者が歩くときに唱えるような言葉を私なりに唱えています。 「歩歩念念唱唱」というのは、とても語呂がよく歩きやすいのです。 私は、国語の教師をしていたので、文を作るし、俳句も作ります。 だから、「歩歩念念唱唱」 を俳句にできないかと、「五・七・五」にして「歩きつつ イエスを念じ 御名を呼ぶ」と詠んでみました。私はこの俳句を唱えながら、今回の新宿に行きました。このように唱えながら歩くと、お祈りにもなるし、リズムも良いので呼吸も楽ですし、疲れずに歩くことができます。
私は、この修道院の地下聖堂から歩き始める第一歩を始めています。地下には、チマッチ神父様のご遺体があり、彼が大事にしていた、あまり大きくはありませんが、御心のイエス様のご像とマリア様のご像が横の方にあります。朝食が終わってから私は聖堂を歩き始め、私の足で踏んでいない所がないくらいに、ぐるぐると回っています。私は、目が悪いのにも関わらず、電気を消して歩いています。ある日の夕方いつものように歩いてると、誰もいないはずの聖堂で、急に男の人の声で「お遍路さんですか」と言われたのです。その人は、私が聖堂を歩いているのを見て「お遍路さんですか」と言われたのです。「お遍路?」と訊いてみても誰もいなくてわからなかったのですが、「お遍路、お遍路とは良いことを言ったな。まさに、これはお遍路だ」と思ったのです。ですから、私が歩くのはお遍路でもあるし、昔の修行僧のようにぐるぐる歩き回るのです。
私がドン・ボスコ社に行くようになって、あるいは、ものを書くようになって、たくさんの大見出し、小見出しなどのタイトルを付けてきました。 それらのほとんどは、歩きながら私の頭に浮かんできたものをメモに書いて、自室に帰って手直しをするのです。 だから、私がドン・ボスコ社で書いた記事、 『愛誌』に書いている記事、それらの書物の大見出しも小見出しも全部歩いているときに出て来たものです。
最近学問として認められた『ウォーキング学』というのがあります。 ウォーキング学は、歩くことで脳を刺激し、ものを書くために重要なインスピレーション、アイディアというものをかき立てる場所が脳にあると言っています。私はウォーキング学が出始める前からこのことを実行していたのです。

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