召命を生きるトップ  <  N0.1 金子賢之介神父 「独りで百歩するなかれ、百人で一歩せよ」3

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●心での祈り

 後輩に残したいものですが。その人の生い立ち、教養、学問、人生、生活スタイルからたぶん来ると思います。私は6年前から目がうまく見えませんから、共同体の祈りを唱えることができないのです。私は、本を持って、『教会の祈り』、『修道会の祈り』『サレジオ会の祈り』をできないので、祈りのときには、腕組みをしてじっとしています。私は、外で歩いているときにしているように聖堂で祈る時も、部屋にいる時もやっています。それは、射祷を唱えています。その射祷が私の頭の中をぐるぐると巡っているのです。私の祈りは、射祷的な祈りであるし、先ほどウォーキング学と言いましたが、金子流的な祈りに置き換えますと、内的原語と言います。私は、内的原語を習得しなさいと口を酸っぱくして言いたいのです。けれど、内的原語と言っても相手は分かりませんから、教えなければいけません。内的原語と言うのは、口に出す祈りの言葉ではなくて内面的に私の心の中に浮かんで来る神への問いかけ、答え、神からの話しかけなのです。だから、射祷と言えば射祷ですが、少し違っています。ラテン語は得意ではないですが、金子式に使っています。「ルクチオ イン テルナ」(内的原語)「アド エキストラ」(外へ)「アド イントゥラ」(中へ)「アド クリストゥム」(キリストへ)。この三つの内的原語が、私が聖堂にいるとき、外を歩く時の祈りなのです。内的原語の「アド エキストラ」というのは、どこまでも外へという意味ですが、心の中の外向きにある言葉が私の頭の中で働くのです。「イントゥラ」といのは中にですが、私の心の中に、神様やいろいろな言葉が、内的原語が入ってくるのです。最後に、「キリストへ」と内的原語がなっています。だから、いつも会話をしているという内的原語ですね。これが私の場合の祈りなのです。目が見えるときには、このような祈りは無かったのですが、6年前に目が見えなくなってきてからこのような祈りになってきました。私は今までのすべての時間には無駄なことはなかったと思っています。



神学生に言いたいことは、目が見えることは素晴らしいことです。ただし、私のように見えなくなった今だからこそ、「見(けん)の目で見るなかれ、観(かん)の目で見よ」と心がけて欲しいと思っています。「見」は「見物」するの「見る」です。あちらこちらを「見る」ということです。「見の目で見るなかれ。観の目で見よ」、「観」は「観想」の「観」です。「中を観る、内面を観る、心を観る」そういう意味の「観の目で見よ」、これを残して行きたいですね。そして、この言葉の出典もはっきりしています。宮本武蔵の『五輪の書』です。宮本武蔵はさすがですね。これは剣の道だけではなく、宗教的にも人生論的にも当てはまるものだと思っています。神様を観るようになるためには、「観の目で見る」ということが実に大事ということが分かります。それから、先ほど言った「百人で一歩せよ」という言葉も残して行きたいと思いますね。この言葉は、ラジオで誰が言ったか分かりませんが、私の心に深く響きました。

●チマッチ神父様との思い出

 最後の一つですが、これは、私が宮崎から東京に着いた頃だから、まだ少年時代ですね。あそこには、哲学院、神学院がありましたが、まだ哲学をやっていなかったと思います。このようなことがありました。私は、長上からチッマッチ神父様の所に書き物を届けてくださいと、頼まれました。それは、戦争が終わる2年前です。その頃は、日、独、伊という三国同盟を結んでいました。その三国同盟から最初に背を向けたのがイタリアでした。管区長の名目でチマッチ神父様は調布から三河島に移りました。後で院長になったのは、現在99歳最高の長老であるタシナリ神父様です。タシナリ神父が私に「金子さん。この書類を持って三河島に行って、チマッチ神父様に渡してください」と言われました。私は「はい」と言って直ぐに三河島に行きました。チマッチ神父様が仕事をしている教会には警官が2人いました。私はチマッチ神父様に「はい、頼まれて参りました」と言って、与ってきた書類をチマッチ神父様に渡しました。チマッチ神父様は、「はい、ありがとう」と言われました。私は、書類を渡したので他は用がありませんでしたからすぐに駅の方へと歩いて帰りました。私が三河島の駅で切符を買う寸前に、後ろの方から「金子さん、金子、おーい金子さん」と叫んでいる声がするのです。振り向いたら当時60歳くらいだったでしょうか、チマッチ神父様が息を「はあ、はあ」と切らしながら神学校に帰ろうとする私の腕をつかんで「帰ろう。帰ろう」と言われるのです。 神父様は、三河島教会に帰る道々に「ああ、間に合った。私はイタリアで、師範学校の校長時代にボーイスカウトで子どもたちに10歩走る、そして、10歩歩くという方法を教えていた。それを使って今、君を追いかけてきて間に合った。」と言うのです。そして少年に過ぎない、神学生でもない私に「君を返したのは悪かった。」と言われたのです。私は「どうして悪かった」と言ったのですかと質問したら、時計をご覧になられ「12時近かった。あなたに昼食を食べさせないで帰らせたのは悪かった」と言うのです。私は、チマッチ神父様のその言葉を聞いて、この人は素晴らしい人だと思いました。何とも知れない私みたいな少年を捕まえて、「昼食を食べさせなかったのは悪かった」と言って60歳代の神父様が一所懸命に走って来られたことにすばらしさを感じました。

 今、チマッチ神父様の列福調査をしようとしていますが、聖人というのは、どのような方かという考え方があるのです。奇跡で聖人と決められない、教会は奇跡を要求していますが、聖人は奇跡だけでは決められないと思います。これは、私の考え方ですが、本物の聖人というのは、「その方が人生の中で持ち続けた心の有様」、これが聖人だと思うのです。チマッチ神父様には、単なる昼食を食べさせなかったということかもしれませんが、それに、いち早く気がついて、あの老人が走ってきて私に昼食を食べさせた、というその心のあり方が、聖人でなければやれない、チマッチ神父様のような行動は聖人でなければやらない、と思っています。

<完>