召命を生きるトップ  < -No.6 国井健宏神父 「叙階50周年を迎えて」_1

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今回は、今年司祭叙階50周年を迎えられる御受難会の国井健宏神父様(81歳)に、ご自分の召命きっかけ、同級生との繋がりの大切さ、そして、典礼についてお話を伺いました。

 祈りを大切にする修道会

大山・・・ 今日は、今年司祭叙階50周年を迎えられる国井神父様のお話しを伺いたいと思います。神父様は、御受難会へ入会され、そして典礼神学へ進まれたのですね。

国井・・・ 私の家は、元々仏教だったので、キリスト教とは全く縁がありませんでした。大学の2年の19歳の時、京都の河原町教会でハヤット神父様から洗礼を受けました。
学生時代にはドミニコ会の神父様の霊的指導を受けていました。ドミニコ会とイエズス会しか知らなかったので、修道会に入るとしたらどちらかに行こうかと思っていました。その頃に御受難会の神父が日本に来られて、宝塚の雲雀ヶ丘というところに小さな黙想の家に住まわれていました。私は、どちらかと言うと祈りよりも活動の方に行ってしまう傾向がありました。しかし、修道会士として祈らないと使徒職の実りが無い、祈らせてくれる修道会ではないと危ないと思ったのです。他の修道会もそうでしょうが、御受難会は祈りを大切にするので、修道会に入るとしたら御受難会しかないと思いました。私にとってマテオ神父様との出会いは私の召命を考える中で決定的なものでした。マテオ神父様は本当に祈りの人でした。一緒にいると、この方は本当に神様の近くにいるのだと、神様を近くに感じました。それで、私は、卒業式が終ると、いちど家に帰り、挨拶をしてからその日に修道院に入りました。
当時の御受難会は日本に来て2年目で、養成の制度がまだ確立されていませんでした。幸い私は英語には問題がなかったので、アメリカ(シカゴ管区)で勉強することになり、修練1年、それから哲学・神学と学びました。ただ、全部アメリカで学ぶのでは、急変する日本の状況が分からないので、6年半の後、神学の最後の2年は日本に帰って来て上智の神学部で勉強しました。当時は教区と修道会の神学生が沢山、一緒に勉強していたので、素晴らしい仲間に恵まれました。叙階後2年くらい大阪教区の池田教会の助任司祭として司牧を学びました。


  恵まれたスタッフの中で

大山・・・ ミサ典礼書についてのご苦労お伺いしたいのですが。

国井・・・ 今は、典礼委員会で顧問という形で、『ミサ典礼書』の改訂のお手伝いをしていますが、私は、33~4歳の頃から典礼委員会で働いています。最初はワープロもない、すべて手書きの原稿の時代でした。幸い典礼委員会は、委員長に長江司教様(当時の浦和教区)がおられ、イエズス会の土屋、サレジオ会の中垣神父様方がおられました。そうう意味で当初の典礼委員会は神様がそろえてくださったのだと感じています。
長江司教様のことを知っている方が少なくなって来ていますので、お伝えしたいと思います。そもそも日本の神学院は、カンドウ神父様が始められました。彼は日本の司祭は、日本で養成しなければならないと思われていたのです。そのために日本人の教授を用意しなければならない、そこで何人かの神学生がローマに送られました。長江司教様もその一人でした。 しかし、勉強をされドクターを取られ、帰国しようとした時に戦争になり、帰ることができなくなったのです。 それで、戦争が終わるまでイタリアの小教区で働きながら、聖アンブロジオの全集、聖アウグスチヌスの著作集を原文で読まれたそうです。典礼の変化や刷新を理解するために、教父の神学に精通しておられることが大きな力となりました。司教としては公会議に参加され、会議中に「典礼憲章実施委員会」のメンバーに選ばれました。だから新しい儀式書が出てくる時も、それにはどのような背景があり、どのように検討されたかということをご存知でしたから、日本語への翻訳だけではなく、適応するのに大変、役に立ったのです。

大山・・・ 大きなミサ典礼書ができるまでは本当に大変だったのですね。

国井・・・ 翻訳は手分けをして下訳を作りました。総則は中垣神父様が担当でした。私は、祈願文全般をいたしました。100近い叙唱を含め祈願文の下訳をしました。典礼注記(ルブリカ)は土屋神父様が担当されました。下訳したものを寺西神父様を含める10人くらいの「国語典礼文起草委員会」で、日本語として、また、神学的に正しいかを徹底的に見直しました。それらのほとんどの仕事を長江司教様がともにしてくださいました。
次に、本を作る段階で、あんな大きな本をどのようにして作るか、みんな素人でしたから、いろいろプロの方に助けていただきました。まず手書きの原稿をプロの編集者に手伝ってもらって、関戸神父様と、毎日夜遅くまで割り付けをしました。また、たとえばどのような紙を使ったらいいのか、いろいろ検討して製紙会社に特注したと思います。しおりのリボンは、援助会のシスター楠瀬と、関戸神父様と一緒に浅草橋の問屋街に行って、リボンと細い紐を購入し、それを同じ長さに切ってもらい、ボンドでつける作業を深大寺にあるカルメル会のシスターにお願いしました。
製本は、大きな事典を作る製本所にお願いしました。題字は、書をなさる名古屋教区の神父様が書いてくださいました。剣道、柔道、合気道の有段者で、徹底的に身体を整えてから、あの題字を書かれたのです。デザインは、師イエズス修道女会のシスターに頼みました。ですから、『ミサ典礼書』は全部日本製です。

大山・・・ そうだとすれば、あの『ミサ典礼書』は、皆様の苦労があったからこそできたということですね。

 文化にあった典礼を

大山・・・  ところで典礼神学についてもお伺いできたら思うのですが。今の日本の教会では、典礼が非常に重視されていますよね。   

国井・・・ 典礼といっても人によっていろいろ考え方が違います。バチカン公会議後の典礼神学の特長は、典礼を通して神様の救いの働きが現在のものとなるという観点だと思います。典礼はシンボル、しるし、言葉、動作、音楽、建物などいろいろな要素の集大成で、そこに信者の共同体があり、それらの集大成を通してキリストの神秘、救いの働きが現在のものとなるのです。2000年前のイエス様の死と復活が、救いの恵みとして、現在に現れているのです。そのすごい現実をどのようにして表すかということです。まだまだ、今の日本の典礼は、ラテン語からの翻訳の典礼なのです。もうそろそろ、翻訳の世界を抜け出して創造の世界に入らなければならないと思います。

大山・・・ 典礼は、翻訳通りではないのだということですね。信仰から湧き出てくるような言葉で祈るということですね。

国井・・・ まだまだ、典礼は変わらなければいけないと思うのです。実際、ブラジルでは、カトリック信者がカリスマティックな(ペンテコスタルの)方向へ動いています。良い悪いは別として体を使って祈る、すごい宗教体験を南米の人たちは求めているのではないでしょうか。
若者は、ロックなどで体を動かして表現しています。まさか、司祭が祭壇の上で踊ったりするのは、今の日本では考えられません。しかし若者たちはロックの集会などで、体を動かしてアピールしているではありませんか。私にはついていけない世界ですが、彼らのように体を動かす中にも神様が語られているのかもしれません。もっと、私たちが彼らに対して、また新しい動きにオープンにならなければならないですね。

大山・・・ 典礼にしても、ミサにしても私たち司祭が大切にしているということが信徒に伝わっていないのかもしれません。キリストの現存が伝えられているのでしょうか。ラテン系でしたら、体を動かして喜びを表している。日本人ならば、沈黙や静かに祈っていって表すかもしれませんが、そのような、キリストの現存を本当の意味で表すとことが大切なのかも知れませんね。
いろいろな典礼が出てくる中で、南米とかアフリカとかそのような地域で多様性が出るのはいいのですが不安もあります。場所によって典礼が異なり、また同じ地域においてでさえ分裂したり、あるいは典礼や教義自体も微妙に異なって来るという怖さがあるのではないでしょうか。

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