召命を生きるトップ  < -No.6 国井健宏神父 「叙階50周年を迎えて」_3

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  召命の苗床を作る

大山・・・ みことばへの深まりという味わいができれば、司祭は司祭らしさを深めていくでしょうし、修道者は修道者らしさを深めていくのかもしれませんね。もちろん、信徒も同じようですね。そういう意味では、典礼は大切ですね。
時間が来ました。最後に司祭、修道者の召命を考えようとしている人たちに、一言ありますか。

国井・・・ 宇宙の歴史というのが百何十億年と言われています。この後、何億年続くか分かりませんが、それも全部神様が創られたものです。神が「光りあれ」と言われて創られたものです。その気が遠くなるような歴史の中で私たちが生きていくというのは、ほんの一瞬でしかないのです。でもその中で私たちが生きるように神様が呼んでくださって生きているのです。だから、神様がくださった命をどのように悔いの無い一生として生きられるのか、自分のために生きるのではなくてどうしたら皆が一緒にいて良かったねと言えるような、そういう生き方をしたいですね。そのために、もっとイエス様のことが知りたい、イエス様は神様が見える姿で来てくださっているので、イエス様が望まれているような生き方、あるいはイエス様が伝えたいと思われるメッセージを伝える事ができるような生き方をしたいな、というのが私たちの召命ではないでしょうか。 若い人たちにもそのことを考えてほしいです。
もちろん、結婚をして子供を育ててもいいのですが、でも、司祭、修道者という特別な生き方があって、そういう生き方でイエス様の姿を伝えてほしいなと思います。
これから、チャレンジをすることがもっと難しくなっていくと思います。今のデジタル化とかソーシャルメディアとかの進歩について行きことができませんから、そのような中で育って来る子供たちが、将来どのような価値観を持っているか、考え方をするかと言うことは、よくわかりません。それをどのようにしたらいいのか考えなければなりませんね。

大山・・・ 新しい福音宣教と言われますが、常に聖霊の恵みに照らされて進んでいくことでね。でも、典礼の深まりの大切さとか、本当にキリストを感じさせていくことが、言葉の表現にしても大切だということを教えていただきました。

国井・・・ 司祭になって間もないころ、初めて長崎に巡礼に行ったことがあります。 そこで感じたのは、長崎の方々の地に足が着いた信仰ですね。初めて長崎に行った時、「新信者ですか」と言われました。その時、「信仰に、新、旧があるものか」と「カチン」と来たのです。でも、いろいろなことを経験して行くうちに、やはり、長崎で250年間神父一人いない中で、信仰を守って来た人たちの、「旧信者」という言葉の善し悪しは別として、その共同体の伝統というものにものすごい力があるのだと感じました。
そういう長崎の旧信者と言われる人たちの地に足がついた信仰を新信者の私たちがどうやって身につけていくか、そういうことは、これからの典礼だけではなく、カテクメナートゥス、「入信準備制度」ですね、入門式から洗礼志願者になって信仰共同体に入っていく、そのプロセスがもっと典礼と共同体と有機的に結びつかないといけないと思うのです。また、それが召命の苗床になっていくと思うのです。その源となる教会作りというのも、これからどのように求道者を育てていくか、というのが大切です。求道者の教育がこれからの教会を作っていきます。これから、キリストに近づいていく、キリストのような生活をしていきたいという人たちを、どのように導いて、キリストの価値観を伝えていって、どのような共同体に入っていくかということを伝えることが、これからの教会を作っていくのですよね。その中で、典礼の理解と参加を深め、共同体が福音宣教をするためにどのように関わっていくかということも最大の課題となってきます。

大山・・・ 今は、高齢化少子化の時代で、行き詰まっているというような感じはしますね。求道者の教育といいましょうか。求道者のあり方が教会の未来を作るのだということをおっしゃってくださいました。本当は、行き詰まっているのではなくあり方を変え、考えれば何かがあるのではないかという希望を持つことができるのではないかと思います。
教会は、やり方を変えれば何かがあるはずですよね。それと同時に教会の魅力を出さなければいけませんね。教会の魅力がどこにあるかるかというと、神父様が話されたように、キリストを感じさせなければいけませんね。今までは、言葉や概念を教えることを中心にして来ました。それだけでは、生きた教会を作ることができていませんでした。生きて感じ取らせること、生きてものを動かすということをしないと、今の時代、宣教は難しいのではないでしょうか。
今日は、神父様のいろいろな方々との繋がり、特に同級生たちとのつながりがいつも神との縦の繋がりに進んでいっているような感じがしました。また、神父様の典礼委員会でのお話、そして、御受難会士としてのお話を聞くことができました。まことにありがとうございました。      <完>