「神がお遣わしになった者を信じること、それが神のわざである。」と福音記者聖ヨハネは言っている。この言葉から私は、洗礼式の時に「信じます」と宣言したことを思い起こす。その時それが具体的にどういう意味をもっているのか、どういう道を歩むことになるのか、それほど深く理解していなかったと思う。
でも、「天地の創造主、全能の神である父を信じます。」「父のひとり子、乙女マリアから生まれ苦しみを受けて葬られ、死者のうちから復活して父の右の座についておられる主イエス・キリストを信じます。」「聖霊を信じ聖なる普遍の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、体の復活、永遠の命を信じます。」と教会共同体の前で宣言したことが、おそらく私のこれまでの歩みを支えてきたのだと思う。また、信仰宣言を唱えるたびに自分の信仰を確認させられ、日々の様々な場面で「信じる」ことを学ばされてきたが、そうやって信仰は成長し強められていくのだと思う。いつも主が私の「信じます。」を受け止め、支えてくださっていることに感謝すると同時に、それを言わせてくださる神の恵みに感謝せずにはいられない。これからもずっと「主よ、私はあなたを信じます。」 <完> |