でも大学の構内での日々は本当に仲良くみんな一体となって大切に過ごし平和そのもの日々でした。インデアンともインディオともアボリジィーともイヌイットとも仲良くなりました。みんなでそれぞれの習慣や伝統、信じている神について話し合い教え合い祈り合いました。みんな優しくて、笑いが絶えない日々でした。
終わりに近づいたある日、カナダインディアンの聖地とされている公園にバス数台で出かけました。その公園には太古カナダインディアンが描いた岩絵がありその岩に手を置き先祖と触れ合い、平和を祈ることをみんながとても楽しみに出かけました。でもそこに着くとその岩は残念なことに高いフェンスに囲まれて傍による事が出来ませんでした。そして騒動は始まりました。参加者はみな一様にその状態に激怒し、悲嘆に泣き崩れ、天に向かって太陽の神に訴え、公園の警備員や、バスを計画したスタッフに詰め寄り抗議をしました。その人たちは全員いわゆる白人で、だから抗議の仕方がだんだん過激になりました。みんなが公園の広場で手をつなぎ円形になって空を仰ぎ泣きながら祈り始めました。
その時、そのツアーの企画責任者の女性が輪の中に進み出でて泣きながらこの状況を知らなかったことを述べ詫びました。でもみんなは燃えるような怒りの目で彼女を見つめ泣きながら祈り続けました。そしてその輪は少しずつ小さくなり始めました。私達日本人4人はその輪から離れたところで立っていましたが西部劇の中のリンチが始まるのでは・・と思うような光景でした。
「何故彼女一人が責められなければいけないの、こんなに信頼しあいながら一体となって国でおかれている立場を話し合い、平和の中で前に向かって歩こうとしていたじゃないの!」
「私だって先住民族ではない、後から来た人間でしょう」
わたしの英語力ではどうやっても納得させられないもどかしさで、輪の中心で泣き続ける彼女に向かって歩き、傍に立ちました。
「今私にできることはこれだけ。言いたいことは沢山あるけどそれを言うほどの英語力が私にはない」
立ち続ける力もなく地べたで泣きじゃくる彼女の傍で私は立っていました。みんなが信じている太陽が遮るもののない私達に強烈に照りつけていました。
『太陽が神様ならこんなことやめさせて!』
私の頭の中は真っ白になっていました。縮まりかけていた輪は止まり重く長い沈黙が続きました。そして一人の女性が私のところに歩いてきて立ました。「西部劇ならここから何かが始まる…」もう私はどうでもよかった。ただ今までの時間はなんだったのかとみんなを信じたことの悔しさが残った。女性は傍に来るといった。
「友達だから・・あなたと」。
それがきっかけとなって輪は崩れ、私達を囲み
「あなたが悪いわけじゃない!」「泣かないで!」「私たちは友達だから!」
口々に自分たちの態度を詫び彼女を労わる言葉を述べました。
帰りのバスの中はそのことを吹き飛ばすかのように歌を歌い、お国自慢の歌を披露し、手をたたき足踏みをしながら、それはそれは陽気で賑やかなものでした。
そんなことがあってから以後、私はいと小さき者、いと弱き者、たった一人で耐えているもの・・・の傍に出来るだけ立てる自分でありたいと願い、力不足ではありますが今日まで頑張ってきました。日本の中でもアイヌへ差別や部落へのいわれなき偏見があるのに気づかされました。わたしは思います、差別は決して人種間、白いか、黒いか、黄色いかだけにあるものではなく、日々の中で日常的にあるのではないかと。そして泣いている
人達に気づかないで「平和!」を謳歌しているのではと。
『今何が必要ですか?』
一人の人が泣かされているとき、そんな時に私は傍に立てる人でありたいです。
<完> |