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復活祭を前にしてチェレスティーノ・カヴァニァ神父さんが亡くなりました。
もう四半世紀も前のことになってしまいましたが、大学時代に甲府教会で多くの仲間といっしょに過ごした日々をときどき思い出します。
チェレスティーノ神父さんも、来日してからさほどたっておらずまだ30歳前くらいのころでした。
思い返してみると、兄であるかのようにお世話になった気がします。今の自分の信仰は大きな影響を受けています。 |
共に様々な活動もし、信仰養成のための集まりなどもみんなで取り組みました。
夏季学校で子どもたちに召命の話しをしようと提案されました。 神父さん自身は「アジアに宣教師として働きに行き、イタリアへ戻られた方の話しを聞き、『この中で宣教師になりたい人。』と話しの最後に呼びかけられた際に『はい、行きます。』と手を挙げたことがきっかけだった」と、子どもたちに語りました。 |
またあるときには、生死についても話したことがあり、「生きている間はこの世界に美しい花を少しでも咲かせられればいい、死を迎えたらただここを去るだけ」といっていたことを覚えています。
そして、そのことを思う時イザヤ書の言葉が浮かびます。
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「ひとたび天から降れば/むなしく天に戻ることはない。」「それはわたしの望むことを成し遂げ/わたしが与えた使命を必ず果たす。」
これが神の望まれる人の生き方なのでしょう。
確かにチェレスティーノ神父さんは美しい花を咲かせて帰られたと思います。
60歳という、まだ先のある年齢でもありましたが、神の思いはわたしたちの思いとは異なっているのでしょう。
いつか神様のもとでお会いしましょう。その日までには、ぼくも小さな花を咲かせるように努めてみます。
今までありがとう。
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