友人が言うには、キリスト教に関心を持ったのは、なんとヤクザの漫画に教会とシスターが出てきたということでした。挙句の果てに分厚い漫画の本が、7冊どさっと宅配便で送られてきたのです。宗教書を読むのにも時間を見つけるのが難しい私にとって、それは結構大きなチャレンジでした。塀の中のことを知って欲しいということでしたが、お蔭様でよい勉強の機会となりました。それからその本を媒介に文通が続きました。しかし、今年6月を最後にまた手紙が来なくなり、一方通行のように返信のない月が続きました。今に始まったことではありませんので忍耐強く投函し、どうしているかな?と思いつつも一方的に送り続けました。そして、12月の待降節中に出張から帰った私が目にしたのは、懐かしい友人の筆跡の封筒でした。6ヶ月ぶりでしたけどそれほどの期待もなく普通に開封してみると、そこに飛び込んできた「神の恵みがありますように」との冒頭出だしのしっかりとした筆跡でした。そこには、(笑)の文字はありませんでした。そして、読み続けるうちに何度も目を止めてしまいました。私は、思わず「イエス様、ありがとう!!!」と主を賛美し、ご聖体の前にいって座って涙ながらに感謝のひと時をすごしたものです。
それはそれは素敵なプレゼントとなりました。そこには次のように書いてありました 「シスターとの出逢いや手紙がなければ、極道を本気でやめようとは思わなかったでしょう シスターには温もりがあります。 他人に温もりを与えられる人です。 冷酷な私の心まで温めてしまったのだから、そりゃもの凄い温もりです。」最後にこのような言葉を目にするとは夢にも想像できませんでした。 正直言って5年半の間に私は、何度か諦めのようなものが過り「もう止めようか」という誘惑に出会っていたからです。その度に私の背中を押して奮いたたせてくれたのが、「『…私が牢に居る時に訪ねてくれたからだ。』そこで、王は答える。 『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さいものにしたのは、私にしてくれたことなのである。』」(マタイ25の36~40)というイエスのみことばでした。 だから、友人からこの手紙をもらって目にした時、聖書のことばが生きて立ち上がる思いと身震いを感じました。 この手紙は、友人からではなく塀の中に居る主イエスからの手紙、私にとって最高のプレゼントとなりました。 一度もあったことのない人・友人との関わりを通して、みことばがいのちを帯びるという出来事でした。 日ごろから「聖書を生きる」と口で言い、また他人にも言い、あるいは生きているつもりが、実は頭だけであったということにも気付かされた出来事でした。そして、修道者として召命をいただいて生きると言うことは、キリストの一部分を生き、証する使命があると言うことです。 わたしは、そのひとつとして「キリストの愛のその温かさを伝える者になる。」ということだと常々思い、そのように生きたいものだと思っていながらも、現実は大変難しく苦しい思いをしておりましたから、友人からと言うよりイエス様から「伝わったよ」とフィードバックしていただいたように思え、素直な気持ちで受け取ることができました。 また同時に、幼きイエスの聖テレジアが観想生活の囲いの中にあって、死刑囚のために祈った宣教女であるということもスト-ンと落ちていきました。
主よ!! 今年のクリスマス、最高に素敵なプレゼントをありがとうございました。 |