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みことばをともに No20
みことばをともに No19
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みことばをともに No1

  神さまの選びについて、聖書をたどってみますと・・・
福音書では、イエスに選ばれ、「わたしについて来なさい」(マタイ4:19)と招かれた人たちは弟子となり、その中から12人が使徒として遣わされました。
また、他の聖書の箇所では、預言者エレミヤが招かれたときに、主の言葉が次のように彼に臨みました。「わたしはあなたを母の胎内に造る前からあなたを知っていた。母の胎から生まれる前にわたしはあなたを聖別し諸国民の預言者として立てた。」(エレミヤ書1:5)

  聖パウロは、手紙のあらゆるところで、神の選びについて書いています。「キリスト・イエスの僕、神の福音のために選び出され、召されて使徒となったパウロから・・・」(ローマ1:1)「わたしを母の胎内にあるときから選び分け、恵みによって召し出してくださった神・・」(ガラテヤ1:15)等々。

  では、神さまはどんな人をお選びになるのでしょうか?
  12使徒のペトロとヨハネについて、使徒言行録には「議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き・・・」(使4:13)と記されています。
エレミヤは、神さまに招かれたときにこう答えました。「ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」(エレミヤ1:6)
  聖パウロは、コリントの信徒への手紙に次のように書き送っています。「神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。」(1コリント1:27~29)
神さまは、わたしが何かが出来るから、能力があるからお選びになったのではないのですね。長い間、わたしは思っていました。“わたしのような者がシスターになっていいのだろうか・・・”と。しかし、弱い人間の中でこそ、十分に発揮される神さまの恵みがあるのだと確信しています。
  今、前教皇ヨハネ・パウロ2世が若者に向けて贈られたメッセージを思い起こします。
「人生の旅路は難しいものです。けれども、私たちの贖い主である方に心を向けることで、すべては可能となるでしょう。  ・・・イエスだけを見つめてください。 ・・・イエスに信頼を置き、福音の限りない力を信じ、 希望の土台として信仰を持ってください。イエスはあなたと共に歩んでくださいます。あなたの心を新たにし、聖霊の力によって、あなたを強めてくださいます。」(ワールドユースデイ2000年ローマ大会 メッセージ)

  イエスに信頼し、勇気を持って新たな一歩を歩みだすことができますように。