では、神さまはどんな人をお選びになるのでしょうか?
12使徒のペトロとヨハネについて、使徒言行録には「議員や他の者たちは、ペトロとヨハネの大胆な態度を見、しかも二人が無学な普通の人であることを知って驚き・・・」(使4:13)と記されています。
エレミヤは、神さまに招かれたときにこう答えました。「ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。」(エレミヤ1:6)
聖パウロは、コリントの信徒への手紙に次のように書き送っています。「神は知恵ある者に恥をかかせるため、世の無学な者を選び、力ある者に恥をかかせるため、世の無力な者を選ばれました。また、神は地位のある者を無力な者とするため、世の無に等しい者、身分の卑しい者や見下げられている者を選ばれたのです。それは、だれ一人、神の前で誇ることがないようにするためです。」(1コリント1:27~29)
神さまは、わたしが何かが出来るから、能力があるからお選びになったのではないのですね。長い間、わたしは思っていました。“わたしのような者がシスターになっていいのだろうか・・・”と。しかし、弱い人間の中でこそ、十分に発揮される神さまの恵みがあるのだと確信しています。
今、前教皇ヨハネ・パウロ2世が若者に向けて贈られたメッセージを思い起こします。
「人生の旅路は難しいものです。けれども、私たちの贖い主である方に心を向けることで、すべては可能となるでしょう。 ・・・イエスだけを見つめてください。 ・・・イエスに信頼を置き、福音の限りない力を信じ、 希望の土台として信仰を持ってください。イエスはあなたと共に歩んでくださいます。あなたの心を新たにし、聖霊の力によって、あなたを強めてくださいます。」(ワールドユースデイ2000年ローマ大会 メッセージ)
イエスに信頼し、勇気を持って新たな一歩を歩みだすことができますように。 |