「あなたがたはわたしを何者だというのか」。この問いはイエスがペトロに発したものであるが、今、イエスに従う人たちに、毎日、投げかけられ続けている問いでもあるだろう。キリスト者は自分のあり方を通して、その時代、その状況の中でキリストを現存させる使命がある。これがキリストを証することである。知識を伝えるだけでは不十分である。自分がキリスの教えに生きながら、キリストを自分の姿を通して、その時、その場で関わる人に、具体的に感じ取らせ得ることが必要である。キリストを感じ取らせないなら、キリストを証することにはならない。従って、キリスト者はキリストに生きるためにキリストが「わたしにとって誰であるか」をいつも確認し、明確な言葉で公言できるほどに、キリストとの親しさを深める必要がある。
キリストについての理解の深まりは、いつもキリストに聴くことが始まり、キリストに確認することに終わる。キリストを理解し受け入れるのであって、自分の期待、自分都合にキリストを合わせるわけではない。 |