61~ / 41~60 / 21~40
---------------------------
みことばをともに No20
みことばをともに No19
みことばをともに No18
みことばをともに No17
みことばをともに No16
みことばをともに No15
みことばをともに No14
みことばをともに No13
みことばをともに No12
みことばをともに No11
みことばをともに No10
みことばをともに No9
みことばをともに No8
みことばをともに No7
みことばをともに No6
みことばをともに No5
みことばをともに No4
みことばをともに No3
みことばをともに No2
みことばをともに No1
みことばをともに_No.14_「召命と聖書」-エリック・デ・グスマン

  私は、ミッションスクールの小学校6年生の頃、4人の同級生と一緒に教区の小神学校で行われた「聖書クイズ」に出場することになった。私たち5人は、神父様のご指導の下、司祭館で2週間後の聖書クイズの為の準備をしていた。

  「聖書クイズ」当日、私は初めて神学校に入ることができた。校内も広くて、聖堂も立派で、神父様方も真面目で、小神学生がみんな清潔で、天使のような良い人ばかりに見えた。すぐに、私は小神学校を気に入った。残念ながら、クイズでは勝てなかったが、記念品として、一人ひとりが小神学校の卒業記念アルバムをもらった。そのアルバムに神学校生活と様々な行事の写真があり、私にとっては小神学校からの招待状のようなものだった。

  数日後、私は再び神父様に呼ばれ、「良かったら、小神学校の入学試験を受けてみたらどう? 君が受かったら、私は学費を保証するよ。」と言われた。私はこの話をすぐに家族に相談すると、特に熱心な信者である母が大変喜んでくれた。私は小神学校の入学試験を受けることになった。試験当日、私は小神学校まで一緒に行って下さるはずの先生に事情があって、結局、試験を受けることができなかった。私も家族も残念な気持ちだったが、私が神学校に入るのが神様の御旨ではないかもしれないと母が受け取った。

  私はミッションスクールを卒業し、一般の中学校と高校に通いながら、小教区でカテキズムを受け、レジオマリエとその他の教会への奉仕をしていた。神学校の憧れに関しては聖母マリアのように、「これらの出来事をすべて心に収めた。」

 

  私は2004年に来日し、日本で大学院を修了する前の2006年に、日本で就職するようにと母から勧められた。長男である私は、家族の為に数年間日本で働いていた。週末は相変わらず、教会への奉仕をし続けていた。さて、2011年、フィリピン人の司祭である友だちに「そろそろ、自分が一番やりたいことをやればいいじゃないの?」と言われた。その時、私は心におさめていたことをすべて思い巡らし、これから歩む道を真剣に考えるようになった。優しい家族、日本での無事な留学と生活などがすべて神様から頂いたお恵みばかりで、心の中に感謝の気持ちで溢れながら、「サムエルへの主の呼びかけ」と「タラントンのたとえ」を思い出した。ただ、自分が司祭への道には相応しくないとの恐れもあった。このような悩みを持っていた時に、幼きイエスの聖テレジアの「小さな道」とルカ福音書の「ファリサイ派の人と徴税人のたとえ」が支えとなり、「今回は神様の呼びかけにちゃんと答えよ」と私は決意をした。