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  ちょうど3年前の2月、私は以前勤めていた職場で突然の契約打ち切りの宣告を受けました。約束では3年間は契約をしてくれるはずで、残り1年以上を残しての契約打ち切りでした。私は国際協力関係の仕事をしていました。国際協力の世界では特に専門的な仕事に関る人については単年度契約やその仕事限りの有期契約で仕事をするのが主流であり、大勢の人がその状況のなかで仕事をしています。私もその中の一人で、それまでも契約を何度か更新しながら仕事を続けていました。つまりもともと不安定な職柄であったのは確かなのですが、しかし、その歴史的になんとなく続いていた仕事の形態そのものも政府が始めた事業仕分けというものの前にあっけなく崩れ、私の所属していた組織にもそのメスが入って、多くの人が突然に仕事を追われました。

  その時の絶望感はとても大きなものでした。4月以降の仕事のあてもなく、また同じ業界では同じように事業仕分けの影響が強くて、どこにもなかなか就職の口もなく、就職活動は続けたもののほかの業種を探すにしても、新しい職場を得るには厳しい状況でした。

  その突然の契約打ち切り宣言から遡る事3年前、一度は国際協力の仕事の不安定さに見切りをつけて、別の仕事に就いた時期もありました。その仕事はコンサートホールを兼ね備えたある楽器専門の博物館のようなところの仕事でした。私は昔から本当に音楽が大好きでしかもその音楽を通じて知り合えたところで仕事に誘っていただきました。その仕事も内容も素晴らしく、このように好きな音楽に携わって一生を過ごせれば、こんな素晴らしい事はないと思って働いていました。しかし、やはり文化的な業界というのは難しい事業で、続いていた不況も手伝って、館の経営は人件費を得る事も難しいような状況でした。また、その時期ある人との人間関係において大きなずれが生じ始めた時期でもあった事も手伝い、結局その職場を離れる事になってしまいました。それから、またもとの職場から人が足りない、経験者が必要と声をかけてもらい国際協力の世界に復帰していました。そしてこの時期には結婚を考えていた女性とも別れるという事件も起こり、この最後の契約打ち切りの宣告を受けたときには、本当にすべてを失った状態で途方にくれるしかない状態した。
  それまで順風満帆で上手くいっていたと思っていた人生でしたが、一度転げ落ち始めるとどんどん悪い方に坂道を転がるように悪化していくものです。

  私は自分の仕事や行き方を選ぶ基準として、必ず「利潤を追求するために仕事をするのではなく、人のためになる何かをしたい。」と思っていました。ですから普通の会社の利潤や利益を追求するような会社勤めのサラリーマンにはなりたくない、なれないと思っていました。そういう意味では国際協力の仕事はその内側に様々な矛盾をはらみながらも「途上国のため」に働ける良い仕事でありました。音楽の仕事を選んだときも、音楽の持つ「癒しの力」は素晴らしいもので、宗教にはない力があると確信していました。これこそ私の天職であると確信していたものでした。この時期の私は、それまで思い描いていた理想の生活は簡単に崩れ去り、仕事も見つからず、途方にくれて疲れ果てていました。何が悪かったのだろうか。どこで選択を間違えたのだろうか。どこに私が行くべき道があるのだろうか。そんな自問自答を繰り返す毎日で、そのうち、そんなことを考える事にも疲れていました。

  そんなある時に、親に相談すると「とりあえず帰って来い。帰ってくれば住むところくらいはある、心配するな。」という言葉を父が電話口にかけてくれました。その時感じた親の愛情と安心感は、今でも忘れられません。それだけ精神的も追い詰められていたのだと思います。そして改めて自分が何をしたいのか、どうするべきなのかを考える気力が湧いてきました。

  それからあらためて自分がどうしたいかを考えながら、ふと思い立って聖書を手にして開きました。そのときに、この「疲れたものは私のところに来なさい・・・」が目にとまりました。じっとその箇所を見ながら、その時、本当に生まれて初めてといっていいくらいの感覚が私の胸に到来したのです。

「イエス様は、いまこの時、この私に、この言葉をかけてくださっている・・・」と。

  物語の中では当時の人々やそばにいた弟子に話しかけておられる言葉です。また聖書はあらゆる人に向けて語りかけておられるもの、ということはわかっています。それでもこの瞬間だけは「私のために話してくださっている」と感じたのです・・・ぐっと涙があふれてきました。また、ちょっと前に聞いた父親の言葉も重なりました。なんとも優しいキリストの声とその愛、子を思う親の愛、すべてが重なり合って私を支えてくださっているのだ、というおおきな喜びと感動を味わい、ひとり泣いていました。

  これまで、幼児洗礼を受け、当たり前のように長年教会に通いながらも、福音をこれほどに身近に、しかも自分自身に向けて語られているように感じた経験はありませんでした。
人は満たされているとき、人生順調なとき、あまり神やその愛を意識できないのかもしれません。逆境にあるとき、疲れたとき、辛いときにこそ神の言葉を胸のうちに感じる事ができるものなのだと痛切に思います。

  それから改めて自分が何をしたいか、どうしたいかを考えたときに、昔から少しずつ感じていた「司祭職への招き」をはっきりと意識しました。そして、司祭を目指す決心をしたとき、それまですべて自分にとって悪い事であったと感じていた事、この人とは出会いたくなかったとまで思う人との出会いも、すべてが自分には必要なものであったと感じる事ができ、またそう思う事ができる自分に驚きました。ネガティブな考え方ばかりしていた自分があらゆることをポジティブに捕らえる事ができる。これは本当に自分にとっての「福音」でした。

  今この文章を作りながら、あのときの思い、葛藤、喜びを思い出して再び感じています。この感じた「福音」をいつか人に伝える事ができるような司祭になりたいと願っています。